私が生まれたのは、都内の借家で3畳一間に小さな流しとトイレが付いただけの家でした。しかも、流しには水道の蛇口はなく、共同の井戸で炊事も洗濯もしていました。貧乏暮らしだったのでしょうが、それが当たり前だったので貧乏と思ったことはありませんでした。
3畳一間に川の字になって寝ていた家族ですが、父親はあの世へ。母親は介護施設でお世話になっています。弟は16歳で家を出てから、そのまま所帯を持って、年に一度会うかどうかです。
お彼岸なので、午前中は墓参りに出掛け、午後からはいつもの鮎釣りです。釣果は、大中小の3尾です。3尾とも、珍しくメスで抱卵していました。
父親の法事の時に来てくれたお坊さんは、もともと会計事務所で働いていたそうですが、自分はこんなことをするために生まれてきたのではないと思って、お坊さんに転職したそうです。法事の後、長い時間、一緒に食卓に着いてくれたことがありました。
その時に、なるほどと思った話があります。それは、墓参りの方法についてです。墓参りは、お願いや報告をするのではなく、墓石の前でそこに写った自分を見つめ、先祖に恥ずかしくない毎日を送っているのか、自分の心に問いかける機会だというのです。私は、その話を聞いてから、墓参りがとても有意義なものと感じるようになりました。