大内宿・・・。

会津といえば、磐梯山。「会津磐梯山は宝の山よ、笹に黄金がエーマタなりさがる。おはら庄助さん、何で身上つぶした。朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした。ハァモットモダ、モットモダ」が思い浮かびますね。

ゆっくり朝寝坊をして、朝湯を浴びてから宿を出発。鶴ヶ城の次は、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されている大内宿へ。ここは、旅番組などで頻繁に紹介されていますが、初めてなのでとても楽しみにしていました。

ポケットに手を突っ込んで、映画スター気取りの弟です。この道の先にある山の向こうが会津若松方向になります。

町会議員選挙ですね。このポスター掲示板は、普通中の普通でした。街並みに合わせて、茅葺屋根でも設置してあればさすがですねぇと驚いたんですけどね。

通りの突き当りの建物は、趣があって素敵でした。この建物の裏に見晴台があります。

南斜面なので、屋根の裏側には雪が残っていて、表からの景色とは風情が変わって、モノクロ写真のようです。逆光の影響ですね。

大内宿は、会津若松と日光今市を結ぶ会津西街道の宿場町として栄えました。鶴ヶ城からは、五里(20km)の距離だったため、本陣もありましたが宿泊ではなく小休止として使われたそうです。今市からは日光街道で江戸を目指しました。

参勤交代の際は、この会津西街道と白河・会津街道を経由して奥州街道を利用することもありました。その時の気分で、2つのルートを使い分けていたのですが、どちらか一つに決めろということになって、白河経由を使うことになったそうです。